検索窓の向こうには、迷子がいる。
人はなぜ、検索するのでしょうか。
それはきっと、今の場所に不安があり、どこかへ進みたいと願っているからです。
検索窓に言葉を打ち込むとき、読者は暗闇の中で立ち尽くしています。
AIの進化により、私たちは問いに対する「正解」へ、最短距離でたどり着けるようになりました。それはまるで、暗い山道をトンネルで一気に抜け、目的地へワープするような便利さです。
けれど、人間が紡ぐ言葉の役割は、それだけではないと私は思うのです。
トンネルを抜けるだけでは見落としてしまう、道端の小さな花。
予期せぬ景色に出会う、心地よい寄り道。
そんな「探索のプロセス」そのものを楽しんでもらうこと。
「ことらぼ|ことばの設計とライティングの研究室」は、AIが出す効率的な答えではなく、人間だからこそ書ける「発見(セレンディピティ)」を大切にする場所です。
答えを教えるのではなく、手渡す。
迷っている人に対して、一方的に「これが正解です」と押し付けることは、本当の解決にはなりません。大切なのは、読者が自分の足で歩き、自分の頭で考え、「そうか、これだ!」と納得すること。
だから私たちは、あえて全ての答えを書きません。
バラバラになったパズルのピースを整理し、最後の1ピースだけを、読者の手に残す。
そのピースをはめる瞬間の「あ、わかった!」という喜びこそが、読者の心を明るく照らす体験になると信じているからです。
「消費される労働」から「照らす資産」へ
なぜ私がここまで「言葉のあり方」にこだわるのか。
その理由は、私自身がかつて、暗闇の中で自分を消費し続けていたライターだったからです。
少し長くなりますが、私がこの研究室を立ち上げた「原点」をお話しさせてください。
あの日の「さよなら」と、小さな灯火
「いつか、こうなるかもしれない」 心のどこかで、そんな予感はありました。
5年間続いたクライアントからの継続依頼が、一通の挨拶もなく静かに幕を閉じたあの日。
立ち止まって振り返ると、そこには「誰かのための執筆」に追われ、すり減ってしまった自分がいました。
求められるままに納品し、消費されていく毎日。
「一生懸命書いてきたのに、私の手元には何も残っていない……」
そう感じた時の心細さは、まさに明かりのない夜道に放り出されたようでした。
しかし、そんな不安の中で、唯一私の足元を照らしてくれたものがありました。
それは、力試しのつもりで始めていた、個人的な「お菓子のレビューブログ」でした。
好きを灯せば、道になる
そのブログには、誰からの指示もありません。
あるのは「これが好き」「この美味しさを伝えたい」という、純粋な私の想いだけ。
読者の顔を思い浮かべながら、「どう書けば伝わるかな?」「ここを楽しんでほしいな」と、言葉のパズルを組み立てる日々。
すると、不思議なことが起こりました。自分の「好き」を詰め込んだ言葉たちが、顔も知らない誰かの役に立ち、感謝され、やがて収益という形でも返ってくるようになったのです。
書いた言葉が、流れ去る「労働」ではなく、誰かの足元を照らし続ける「資産」に変わった瞬間でした。「言葉は、消費されなくていい。誰かの光になれるんだ」 その気づきこそが、ことらぼのすべての土台です。
一緒に、明るい場所へ。
私たちはもう、暗闇に向けて独りよがりな言葉を投げる必要はありません。
また、アルゴリズムという機械の機嫌を伺って、自分をすり減らす必要もありません。
必要なのは、「読者はどこで迷っているのか?」を想像する優しさと、そこから明るい場所へ導くための「言葉の設計図」です。
私には、3人の娘がいます。
母として、ライターとして、彼女たちに胸を張って見せられるのは、「消費される仕事」ではなく「誰かを照らす仕事」でありたい。
だからこの場所では、単なる「稼ぐためのテクニック」ではなく、読者も、そして書き手であるあなた自身の心も豊かにするライティングを探究していきたいのです。
あなたの言葉を待っている人が、必ずいます。
さあ、一緒に新しい扉を叩きましょう。
迷える読者と、あなた自身のために、小さな灯りをともす準備はいいですか?
